タイトルはガイアの夜明けのナレーション風です。
以前タカトシランドという北海道の地方番組で建設中のビルの壁に琴似の歴史が大きく書かれてあったことに少し注目されていたのですが、その一つが屯田兵。
実は琴似には明治8年に入植した屯田兵制度最初の兵村があったのだ!
屯田兵は本道の開拓と防備を任務とし、「18歳から35歳までの体の丈夫な者」の中から選ばれました。
208戸の兵屋があったらしい。史跡 琴似屯田兵村兵屋跡は後述。
屯田兵の一日
朝、ラッパとともに起きます。
おとうさんは軍事訓練、おかあさんは農作業、子供ははおかあさんの手伝いです。
おとうさんは昼休みを除いて きびしい訓練です。
訓練を終えておとうさんが畑仕事の手伝いにきます。
畑をつくるのに邪魔な木を 伐採します。これはかなり危険な仕事です 水。倒れる時、なるべく木のそばにいた方が安全です。
熊がたまに民家を襲いました。 その時は、みんなで撃退しました。
夕方、6時のラッパで家に帰ります。
夕食です。 一日で一番楽しいひとときです。
つらい仕事を終えて思い出すのは、 ふるさとのこと。 冬がもうすぐ、そこまでやってきています。
屯田兵のくらし
屯田兵とその家族は厳しい規律の中で、脳まし合い助 け合いながら開拓に励みました。また火災や水害あるい は熊の害から人々を守るため出動することもありました。 屯田兵は畑作の他に養蚕、リンゴ、ナシなどの果樹やアサの栽培も行い、北海道農業の基礎づくりに貢献しまし た。
官給品
屯田兵には、武器の他に住居、家具、復員、農機具な どが支給されました。また入植してから3年間はお米と 塩菜料としてお金が支給されました。病気のときは医療品を、死亡したときは埋葬料が支給されました。明治10 年西南戦争に出征したため支給期間が1年延長されました。
英語訳あり
Government Supplies(官給品)
The government supplied farm machines, furniture, and houses other than weap ons. And for 3 years after settling, money was supplied to buy rice and pickled veg. etables.
The life of the Farmer-Soldier(屯田兵のくらし)
The farmer-soldier had to endure the strict army corps rules and farm work he was not accustomed to, so the families helped one another and strived for develop ment.
■屯田兵制度
明治6年(1873)、開拓次官黒田清隆の建議に 屯田兵制度が創設されました。屯田兵は本道の開拓と防備を任務とし、「18歳から35歳までの体の丈夫な者」の中から選ばれました。この制度は、明治37年廃止されましたが、その間全道に37兵村 (約7,300戸)が設けられ、本道の開拓と発展につくしました。
道内の屯田兵村配置図マップもあり。
ココ以外では北は旭川や士別、東は根室、南は室蘭
そして札幌の篠路や新琴似、山鼻など。
空知地方が多いですね、ここ空知平野って大きな平野があって今は田園地帯で稲作が盛んなんですが、以前は森だったのかもなあ。
英語訳あり
The Farmer-Soldier System(屯田兵制度)
It was established in 1873 for the purpose of the development and defense of uncultivated Hokkaido, and is an army corps system of which the duty is to cultivate and give military service. Following this system, the emmigrants recruited from the mainland of Japan became farmer-soldiers. In 1904 when the system was abolished, the farmer-soldier villages were built in 37 places.
史跡 琴似屯田兵村兵屋跡
屯田制度は、明治六年4月、開拓使次官黒田清隆の上表に基づき北海道,樺太の備と拓殖,地方警備、開拓 の経費軽減、士族の授産を目的として発足したものである。
この太文字に気になる言葉を発見した。開拓と警備に関してはよく聞くが、その後半の文章は聞いたことがないぞ??
屯田兵wikipedia(ウィキペディア) で調べてみてもやはり直接的な表現は無い気がする。
この兵屋跡は、150坪に区画され 17.5坪の兵屋一戸が建てられたものの遺構で、宮城県の村より入植した、屯田兵 清野専次郎 入居兵屋 として給与されたものである。 復元を完了し、開拓使時代の形態を伝える重要なものとして保存されている。
琴似の商店街を歩くと開拓の歴史のみち というマンホール?もありました。
開拓の歴史のみち バージョン2
札幌は星のマークが多い気がします。サッポロビールも☆ですね!
この日、琴似を歩いた時の風景はこちら↓