入り口がない!ひっそりと佇む神社を発見 in札幌

それは偶然の発見だった。札幌の豊平川沿いを自転車で走っていると、その場所だけ違った雰囲気が漂っていたのだ。

もしかしてこんな場所に神社?行ってみよう!

駐車場?の脇から侵入する感じで横から入ってみた(笑)

おおーー!神社だ!ここだけひっそりとしている。狛犬が居ないので僕的には少し残念な気はしたが、良い雰囲気です。

住所で言えば札幌市豊平区水車町5丁目。後ろの豊平川を挟んだ向こうに高層マンションが見える。

なんの痕?両サイドにあったので鳥居痕だと思われる。根本から無くなって土台だけが残されています。反対側を向けば入り口のはずですが。。。↓

え!?

駐車場!?しかもロープ張ってるし!!

どうなってんだこの神社は。

もしかして地図にも載ってないとか?

つまりこの神社が道路に面してるのは裏側だけということ。

難得神社

お参りしようとお賽銭を・・・あれ?お賽銭箱がないので入口付近にポツンと置いた。

難得と書かれた石があった。

ご参拝の皆様
神社の 「例大祭」は例年 6月8日、9月8日 に行われます。
神社の戸は右側の戸を開けて 頂きますようお願い致します

あれ!?もしかして扉を開けたらお賽銭箱があったんだろうか?

後日調べたら難得神社はグーグルマップにちゃんと載ってた。

その口コミの一部を引用抜粋いたします↓

難得龍神社

老朽化か破損のためか?鳥居が撤去されてしまっている市内でも屈指の寂しい神社ですが、静かで雰囲気は素晴らしいです。

開拓前の雰囲気が残っているような感じ

神仏混合の神社で龍神様を奉っています。今は建物も古くなっていますが元々は大変力を持った神様です。

凄く周りの空気が違うと言うか暖かい感じの印象の神社でした。

豪華な神社も良いのですが、こういう小さなお社も大変すばらしい雰囲気をもっており、大切にしていきたいものです。

この日は暑かった〜

久々にアイスクリームなんか買って食べてみた。森永のMOWモウ・牛の鳴き声かな?🐮

ここから下は神社に貼られてあった記事の一部を抜粋して文章にしてみました。所々解説のような物を入れてみたので、この謎の神社について気になる方はどうぞ〜

難得神社史

難得神社の祭壇と祭神である龍神様
難得神社(なんとくじんじゃ)の歴史に ついてであるが、この神社は通称「ヘビ神社 」と呼 ばれ、通称のほうが流通している。また、カーナビの 普及により、カーナビ地図にも記載されるようになり、一躍地区の目印として有名になった。

この神社は明治30年頃に建てられたと言われて いる。一説には大正初期とも言われているが、神社 に寄付されている賽銭箱には明治3年の年号がは いっているため、大正説は薄いだろう。 創建由来であるが、まずはその創建者の生い立ちから述べていきたい。 伊予大洲(現在 の愛媛県大洲市)の出身である中西若太郎は妻の中 西ミユキとともに屯田兵として樺戸郡の浦臼村に 入植したという。

屯田兵とは?

タイトルはガイアの夜明けのナレーション風です。 以前タカトシランドという北海道の地方番組で建設中のビルの壁に琴似の歴史が大きく書かれて...

しかし中西ミユキが落雷事故により 重傷を負い、その治療のために札幌に移転、豊平橋 で済菓子屋を開業、月寒の歩兵第5連隊の兵員 に人気がでて,繁盛したという。しかし、中西ミユキ の怪我は思いのほか悪化し、医療のほか祈祷などに よる療法まで考え、現在国道8号線沿いにある 日蓮宗経王寺で修業を行った。 この参詣修業のかいがあり、怪我が治癒し霊感を感 じるまでになったという。

その後、霊能者となった中西ミユキは、当地を購入して社を建立し、龍神をまつる ことになった。この中西ミユキの参詣修業の成果と信仰心に感動した経王寺の日光上人は、大正時代の中期 に「難得」と命名し、現在の難得神社と称するように なったという。

ちょっと長いのでコーヒーブレイク

とまれ みぎみて ひだりみて

こういうのも地域によって違うので面白いですよね〜

そう言えば、この前見つけた神社も雰囲気あったー!

札幌の田舎の山里に愉快な表情の狛犬と凄い雰囲気のある古びた神社があった! まず目指すは南区にある白川神社! ここが意外に難しかった。 ...

貼ってあった記事の続き↓

なぜ、龍神をまつることになったかと いうと、中西家は愛媛の実家において旅館を経営し ており、その建て替え等で材木を伐採したところ、 血しぶきにも似たものが噴出したために調べてみると沢山のヘビが同時に切られていたために、それを供養するために龍神をまつったのがはじまりである。龍神は法華経をあげてまつるのが通例なため、難得神社の祭祀では、高僧が 来訪して法華経をあげることになっている。 もともと中西家は浄土真宗であったが、この地にきて 経王寺で参詣修業したときにでも日蓮宗に宗旨替え をしたのではないかとの説もある。

龍神信仰は古くから日本神道内にあり、ヤマタノオロチ退治伝説や三輪山の神様として知られている。 それにインドや中国において発展した仏法守護の八代 竜王・九頭竜王信仰が仏教とともに伝来し、 日本の龍神信仰と習合し、神社・寺院どちらにも龍神 信仰が存在することになったと考えられる。さらにさきほどの法華経をあげる意味は、龍神が「法華経」の中 に登場する神様であるからということも言われている。 また密教においても龍神を招いて雨乞いの晴雨法を 行う修法もあり、平安時代に発展した陰陽道で龍神 の五能祭がおこなわれている。

社殿内には祭神である龍神を中心に、左に天照大神、 右に不動明王と配神され、一対となってまつられてい る。社殿本殿は一度建て直されており、現在のものは 昭和3年に宮大工によって建てられてからかなりの 年数を経過するが、地震や台風などの自然災害にも ビクともせず、社殿内のロウソクすら倒れなかったとい う事例も残っている。しかし、ガラスは外圧等から 何度か破損しており、トタン等で補修し、20年ほど前 には祭礼客のために社殿内にトイレと電気ガス水道を つけ、防犯のために外灯も設置している。この社殿の建 築方法は仏教式であり、神仏習合時代の龍神信仰を そのまま現代まで続いていることを物語るものでもある。
難得神社の「難得」であるが、詳しいことは明らか ではない。漢文読みからの「得難い」から きているのではないかという説もある。

このように、ヘビ神社にはこのような歴史が存在 する。各郷土史本には管理・祭祀において誰もいない神社だとか、創建について間違った伝承を記載してい るものがあり、また子供たちや地元の人の中には 都市伝してたくさんの「噂」が流れている。 内容の真偽はともあれ、 それだけ伝説等が残ってい るという事は、 この雄得神社が地元の人の中に現在 まで色濃く残っているということであろう。 冒頭に 述べたように、カーナビの普及から「ヘビ神社」と いう近称で呼ぶ人も少なくなっていくだろうと思われる が、難得神社史の中に入れておかねばならない 事項であると言えるのではないだろうか。

神社領域内には神木の銀杏の木があり、樹齢二百年~三百年とも言われている。

静かにたたずむ難得神社。信仰心の厚い人たちに支 えられてきた一
豊平地区には豊平神社をはじめ、 神社仏閣が目立つ。古くか ら栄えたまちのため、信仰心の厚い人たちが多いのか もしれない。大正末期まで 水車が見られたことから名付けられた水車町。住宅地の中で二つの小さな社が健在なのも土地柄なのだろう。

以上

水車町って歩いたりしたこともあるんですが、以前水車があったとは知らなかった〜住宅街で少し殺風景な地域だな〜とはずっと思ってたんですが。理由を知ればまた見え方が変わってくるかもしれません。

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