糸より姫の像を小さな港で発見!高松に来てから糸より姫という初めて聞く言葉をちらほら見聞きしていたのだが、どういう伝説?だろうかと少し気になっていたのだ。
ぽっぽっぽっぽっと、のどかで小さな港町の船のエンジンが聞こえる中、自転車を走らせていると突然気になる像が!!
こ、これは!?
これが糸より姫!
なんと後醍醐天皇の時代の話!西暦1314年!
これは新しく建てられた説明書きですが、奥に石で掘られた文章付きの大きな石碑もあり。
1314年ってことは源頼朝から始まる鎌倉時代の話!
結構前に建てられた像のように見えます。
口元の下にある丸い筒?のようなものは何だろうか?
これが石碑。今この文章を見ても、僕はかなり理解しにくいですね。たった十数年前(昭和45年)なのに、言葉って結構変わるものです。
紙の方は太陽の強い光で、このありさま。。。
重要な文章?が守られるのかどうか、心配でもありました。
港が見える住宅街の中にひっそりとある印象で、近くに住んでる人しか知らない可能性もあるな、という雰囲気。
もう一度新しい方の説明書きを確認すると↓
『日に日にに 網糸つぎむおぐるまの 糸より浜と名をのこすらむ』
糸より姫の、み歌としてつたえられ、以来のこ浜辺を誰言うとなく「糸よりの浜」と呼ぶようになりました。また、糸より姫の御魂は現在瀬戸内町の金毘羅神社にまた、愛宕神社には天津神とたたえてご奉斎され、合祀されております。
と書かれてありました。
後醍醐天皇の第二皇女で南北朝の争いの渦に巻きこまれ讃岐の西浜の地に流され、その生涯をさぬきで過ごしたとされています。
姫は網糸をつむいだり、糸をよったり、地元漁師のとってきた魚を売ったりして生計を立てていました。
これが、「いただきさん」発祥の原点だったと言われており、いただきさんの守り神としていまでも祭られているのだそうです。
まさかいただきさんと繋がってくるとは!
糸より姫の由来
夫の漁網の修理をするための糸を脇で紡いでいたということから「糸より姫」となったようです。
こちらには更に詳しい詳細あり↑
高松市の伝統らしい「いただきさん」と「いとより姫伝説」の意味がわかった。
現代に残るいただきさんと、大昔のいとより姫に関連があったとは、驚きです!
ピョーーン!ピョーーン!と近くの高松市中央卸売市場へ!
釣りの壁画も発見!
ちなみに香川県の県魚はハマチとのこと。
調べてみると、昭和初期に日本で初めて、香川県で養殖技術が開発され、 現在で県の水産業の基幹魚種になっているらしい。
それ以外の地魚もかなり美味しいけどね!
帰り道、自転車を走らせていると青いドット柄の建物。
港町らしい柄かな!?遠くからでも目立ちます(笑)
特に後ろ姿が印象的。
糸より濱の大漁
平成6年に作られた像のようです。読むとこの地域の先人の暮らし、苦労、魚の種類など、そして糸より浜の大漁を祈願して作られた恵比寿像ということがわかります。
糸より浜ではなく、濱になっているのはなぜ??
これを読んで初めて知ったのですが、えびすというのは本来、異国から来たおそろしい神の事なんだって!
でも漁民には大漁をもたらす神として親しまれていると。
※追記
上から糸より浜を見るとこうなった↓(ちょうど中心部分)
以上、現在の糸より浜